手の写真を撮るのが好きです。
こちらはちょうど1歳のお誕生日の手。
産まれたばかりの手とパパの手。
4人家族の手。
ママになったばかりの手。
そしてこれは、アンドロイドの手。
科学未来館で開催中のキミとロボット展で、2体のアンドロイドがまったりと対談していて、リアルすぎる手が気になってそっと触れると、ひんやりしていました。
手に装着するロボットを見る子どもたちの手。
科学未来館の展示よりもずっと次男が強い衝撃を受けたのは、電車とゆりかもめで移動する間に眺めたり歩いたりした、汐留竹芝などの湾岸エリアの再開発された街のほうでした。
すでにこの国が人口減になっていることは次男でも知っているのに、途方もない資源を地球中から集めて空高く積み上げ、莫大なエネルギーを注ぎ込み続けなければ維持できない街をいまだ作り続けることへの強烈な違和感。
帰りの電車では、眠る娘を抱きつつ、人口ボーナスとはなにか、サハリン2からはなぜ撤退できないのか、話がつい熱くなりました。でも、私にとっては再開発のビル群よりももっと驚くことがありました。
それは昨日のことです。
仕事を終えた夕方から、夏休みの子どもたちと水辺でざぶざぶして涼むことが良くあるのですが、昨日はお気に入りのいたち川でざぶざぶしておりました。
ところどころから湧水も流れ込む小川には魚もいるし、カワトンボもたくさん。
横浜市のはじっこのこのあたりは、街のそばに自然がところどころ残っていて、なんとか自然を残そうと奮闘してくださった人たちの存在をあちこちに感じます。
地層がむき出しになった流れを歩いていくと、釜利谷ジャンクションの工事の橋脚の下を通ります。
交通量の多い環状4号のすぐ傍らに生き物の棲む小川があるなんて面白いので、こんどころっぱの仲間たちを誘って探検しようかな?と思い、それならいたち川の水質を調べておかなきゃなとインターネットを開きました。
そこで、署名運動の末白紙撤回されたはずの、東急不動産による瀬上沢の開発計画が再度動いていてすでに横浜市の申請を通っていることを知り、本当におどろきました。
私は高度経済成長期に幼少期を送り、見慣れた里山が、曲がりくねった道路も泉も見る影もなく消え去り、一面のアスファルトに変わっていくのを目の当たりにして育ちました。
里山とともにある生活が失われた今、山を開発して人の手を入れようという意図もわからないではないけれど、これから新たに、残された山を切り開き宅地化するなんて、時代錯誤も甚だしい誤りだと思います。
私は森と山を、未来を生きる子どもたちのために残したいです。
でも私のようなただのお母さんには、いったい何ができるのかしら…?
とにもかくにも、今週はcolobockleのスタジオ撮影ウィーク。
産まれたばかりの赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで、ご家族の時間を切り取れる日々に感謝です。
今日の撮影は、おじいちゃんおばあちゃんとの、1、2、3、5歳4人の孫たち。
2人の娘さんからご両親へのプレゼントだそうです。8人全員が白×デニムで揃えて来てくれて、とっても素敵で、かわいかったなあ、楽しかったなぁ。
お客様からもメッセージをいただきました。
『どのお写真も静かで丁寧な雰囲気で、とても素敵です。
娘だけでなく、夫の写真にも満足しています。娘を思う気持ちが顔に出ており、嬉しい限りです。』
赤ちゃんが美しくかわいいことはだれでも知っていますが、私から見ると赤ちゃんを抱く親の姿、見つめるまなざしもまた、本当に美しいものだと思います。
私は小さなことしかできないただのお母さんだけど、産まれた命が、少しでも自分らしく幸せに生きられることを願うばかりです。
そして幸せに生きていくには、やっぱり自然に敬意を払うことが不可欠なことだと思うのです。